シネマティック・アーキテクチャ論


菊坂オブジェのリフレクション(2015)岩館えり子

建築

アーキテクチャ(建築)という言葉をどう捉えるか。オックスフォード英語辞典(Oxford English Dictionary)では、以下のように定義されている。

人が使用する建造物。それを構築する芸術あるいは科学。 公共・軍事・住宅・宗教・船舶施設、工作物(橋など)。

しかし、“アーキテクチャー”という言葉は19世紀中頃までは、もっぱら美術と見なされていた。

建物の構築プロセスや行為。建造物の構造、および装飾ディテールに関する特定の方法、あるいは「スタイル」。

建築作業(構造、構築)。計算(コンピューティング)。

構造概念と総合的なシステム構造理論、それに関する作業と理論化。

(一般的な意味においての)構造体・構造。 建築デザインに応じた建造物の構造および装飾ディテールに関する特定の方法あるいは「様式」。

計算(コンピューティング)。システムの構造概念、および総合的な論理構成、およびそれらを実現化する行為。

日本における”アーキテクチャ” 日本における”アーキテクチャ”(建築という概念)については、『アーキテクチャ』(2009年・NHK出版)で、現代思想家の東浩紀が、「”アーキテクチャ”には、建築、社会設計、そしてコンピュータ・システムの三つの意味がある。私たちはイデオロギーではなく、アーキテクチャに支配された世界に生きている。必要なのは、イデオロギー批判ではなく、アーキテクチャ批判(批評)である。」と述べている。また、同書で、ITリサーチャー濱野智史は「現代の都市においては、ビルディングだけでなく、その生成力を規定した下層グリットも含めた総体をアーキテクチャと考える。」と定義づける。

パリ、ミニルモンタン, ステファン・ドージンガー(Diploma Unit 3)

さらに、『Any』シリーズを始めとする文字メディアを駆使し、海外の建築家、理論家たちを巻き込みながら、(それまでは異分野だった)現代思想、アートに大胆に踏み込み、建築言語を知の概念と結びつけることで、日本における建築思想の地位を高めその領域を広げた建築家・磯崎新は、2006年、「先進社会においては、アーキテクチャという言葉をこれまでより拡大した概念としてとらえるべきだろう。建築家はもはやビルディングなどやる必要はもうない。(社会における)コンピュータソフトウェアの一つのプログラムの設計をやっていればいい。空間も、建物も作らない、それが先進社会の建築家(アーキテクト)となるだろう。」とまで述べている。ここでは、アーキテクチャ(建築)とは、単に物理的な建物だけにとどまらず、インフラストラクチャや情報体系を含む総体や、構造、構築プロセスなど実体のないものも含めて捉えられている。さらに磯崎は、『これからの建築理論(T_ADS TEXTS 01) 』(2014年・東京大学出版会)において、「今は、世界中で(無機質なデザインの)アルゴリズムしかないと思われているが、その上に”物語”がほしい」と、都市や建築が物語性(ナラティブ)を持つことの重要性を指摘している。さらに、フランスの思想家ポール・ヴィリリオがs現代都市が時間に支配され全てが知覚するための媒体と化すことの隠喩として「これから建築は単なる映画にすぎない」(『The Aesthetics of Disappearance』)と述べているのは印象的だ。 このような再考察が、翻って現代都市の建物としてのアーキテクチャにも影響を与えつつあるのは確かだし、シネマティック・アーキテクチャ東京も”アーキテクチャ”の概念を再び捉え直した上で、シネマティック・アーキテクチャ(映画的建築)の定義に取り組んでいる。 (keiichi Ogata)