シネマティック・カフェ&サイトシーイング:見て考える、みんなの新国立競技場【提言】
“新国立競技場は、みんなの共有の場所・空間だ”という観点から、できるだけ多様な人々と語り合うことを今回のシネマティック・カフェの試みとした。
第1回設計競技は、結果的には専門家だけではなく、たんにその外面的なデザイン面や、経済面だけでなく、その本来のあり方を含め、多くの人々をも建築論争に巻き込むこととなった。町場での議論の盛り上がりを感じるにつけ、市民も皆の共有の建築についてなら、こういうものが欲しい、こうなったらいい、こういうものは好きだ、嫌いだ、くらいは言えるのではないか...。そして、それをたんなる一時の光とはせずに、一般の人々と都市や建築について話し合う場を設け、議論を広く拡散させ、投影する必要性を感じた。それによって、都市や建築が少しでも豊かになるんじゃないか。シネマティック・アーキテクチャ東京がささやかでもその助けになれば...。
そのような意図のもとに、集まっていただいた様々な人たちの言葉や思いを吸い上げ、まとめあげたものが、以下のような提案・提言となった。大胆な部分、多少辻褄の合わない部分もあるが、これを、新しい国立競技場への私たちの思いと受け取っていただければ幸いである。なお、ここには20年オリンピック終了後についてのアイディアも含まれている。
調査と印象:
事前に神宮外苑を、新国立競技場用地をイメージしながら様々な時間帯に歩き、調査した。印象としては、多くの市民(都民)が利用しているかというと、(野球などスポーツ施設、神宮絵画館の利用者、およびイベント時だけで)それほどでもない。
現在の利用者は、共通の場のイメージは持っていないだろう。休み所が少なくJR、地下鉄駅からも遠い。もう少し、憩いの場になってもいいのではないか。今や、家族構成も生活形態も多様化している。郊外だけでなく、中心部にも都市中心生活者のための場が求められている。外苑とその周辺には商業施設も少ない。また、外苑のヨーロッパ式庭園計画や神宮絵画館を観る限りでは、デザイン的にあまり和を強調しなくてもよいという印象。
その結果、新国立競技場を、たんに1カ所の敷地としてではなく、神宮外苑という周辺を含めて考えてみたい、という参加者全員の一致した考えが導き出された。
新国立競技場への提案
基本コンセプト・企画・プログラム:
新国立競技場には物理的なものが、本当に必要なのだろうか。オリンピックはむしろ、観客に高揚感を与え、それが “夢”や“記憶”を生み出すことを第一に考えることが大切ではないだろうか。
神宮外苑の価値を高めるコアになることを望みたい。それにより、NYCのセントラルパーク、ロンドンのハイドパークなど、都市の中心部に市民が楽しむ憩いの場となるといい。利用者、市民が誇れるような場に対する、所有感、共有意識が、レガシーとなるのかもしれない。
パリのラヴィレット公園*1の設計者のベルナール・チュミは、建築プログラムの成立要件は「イベント」が起き、「ムーブメント(人の動き)」が発生し、その結果「(有益な)スペース」が生まれる、と述べている。これは、映画で物語が生まれるのと同様の発想であり、結局、物語がなければ場としても空間としても成立しない。新国立競技場は、利用者に物語が生まれる主要素となるべきだ。
競技場デザインなどハード面における計画段階での一般市民の関わりは、著しく低いかもしれないが、グランド・ルールを決めて市民のこういうものが欲しい、こうなったらいい、という一定の意見やアイディアを汲み取り設計に生かす工夫も必要だろう。
また、今は、ソリッドで強固なハコモノで残してしまうと、ハコモノに無関係な人の意識は高まらない。ハコで最後まで作り込まれてしまうと、他の市民活動的な力も注げない。ならば、プログラムとして、多くの人が関わる“祭り”のようなものを助長する仕掛けがあるといい。
また一方で、第1回設計競技案の一部でも提案されていたように、使用後のアイディアをあきらかにすべきだろう。オリンピック後の企画・運営などソフト面でなら市民の関わる比率は高く設定できる。施設での企画・運営はしっかりしていなければならない。大規模なことができる唯一の空間という独自性を有する新国立競技場が、スポーツ・音楽を含む文化的イベントを常に効率的に回転させることができるか。例えば、市民に開かれた映画やクラシック・コンサートの場として、更に、地方の大名が集合し、同時に地方のものの集まる拠点でもあった江戸時代にならい、祭りや物産展などで地方と東京を結び付ける拠点として、イベント開催を積極的に促して、様々なものが入り混じるといい。
このように、企画プログラムの(ソフト)デザインの組み方が大切。企画運営には、例えば、韓国ソウルの東大門デザインプラザ*2のように、ある程度の投資も必要だろう。
デザイン
常設と仮設部分を組み合わせた木造中心の仮設建築を提案したい。仮設でどこまでできるか、突き詰めてみるのはどうだろう。そこに、できるだけ、最新映像技術(たとえば、プロジェクション・マッピングなど)を駆使したバーチャルの部分を組合せ、人々の歓声が響き渡り、スタジアムの高揚感があふれる“祝祭的空間”になるといい。
木造とすることで、日本の大工(宮大工)の技術、手業が継承されて行くだろう。建築足場のようなユニットで構成される仮設的なものも面白い。また、各施設(またはユニット)を日本の各自治体が,木材を始めとする、各地の資源で作り、終了後に戻せばいい(Pack and Go)。東京大学の研究室*3によれば、13階建てのビルまでは木造で建設可能だ。
最初のコンペではスポーツのダイナミズム(動的な建築)が評論家から受け入れられたが、それは、たとえ仮設でも可能だ。物見小屋、芝居小屋、安藤忠雄設計の下町唐座、芸術家・川俣正による一連の仮設プロジェクト、清水寺、太古の出雲大社や、城、巨大な櫓などの木造構造物がその例だ。また、次回以降、(移動装置が付帯する)ロボットのように動き出し移動し*4、各国体で再利用するという大胆な発想もある。
ならば“仮設”だと、どうしてボランティアで働いてみたくなるのだろうのか?それは、恒常的な建築物だと重厚すぎる、という一語に尽きる。はかなくて、一過的なものであるほど、関わりたくなる、という気持ち(一種の夢)が日本人のなかにあるのではないだろうか。
オリンピック後の発想は、更地になった部分から考えてもいい。段階的に、オリンピックを契機に話し合って行けばいい。もちろん、スタジアムとホテル、商業施設、アミューズメントを組み合わせる複合施設も考えられる。そのためには、フレキシブルに対応可能な部分があるほうがいい。
より具体的に言うなら、環境面も含め、オリンピックが予定通り8月開催ならば、日本の夏の暑さに対する工夫は必要だろう。そのためには、神宮の森の一画として、明治神宮の内苑と同様、外苑にもその延長として神宮の森のイメージと感覚を継承し、多くの木陰を取り込みたい。木陰には燦々と(視覚的に)木漏れ日が差し込み、競技場の周りに形成された木立と水辺を通し、内部には涼風が流れ込む。競技場は傘のような屋根に覆われ、空間に陰をもたらすデザイン。それは文字通り神宮の森の中のスタジアム。オリンピック終了後は仮設部分が森となるかもしれない。
この発想は、徒然草にもあるような日本古来より受け継がれ、培われた、住まうことの基本である。簾、風鈴、例えば、椅子の下は氷置きだったり、氷水を流したり(足湯)。海外からのゲストに、日本の夏を五感で楽しむ日本人の知恵を体験してもらう。
仮設で、一過的だからこそ、オリンピックの祝祭性と価値が高まり、まるで、映画のように人々の記憶に残り継承されてゆく“レガシー(名作)”となるのではないか。実際に新国立競技場の設計に関わる建築家には、そのようなことを踏まえて、設計に生かしてもらうことを期待したい。
本企画にご参加いただいた、アーチスト、教育プランナー、環境研究者(官公庁)、人権擁護団体職員、都市計画コンサルタント、不動産会社社員、在日留学生、学生、主婦、(ロンドンオリンピック施設設計に関わった)建築家、都市研究者の皆様のご協力に深く感謝いたします。
20151210 シネマティック・アーキテクチャ東京
*1 ラヴィレット公園
パリ北東部の食肉市場跡地に作られた公園。開場時は閑散としていたが、およそ20年たち、もともと広いオープンスペースの少ない都市パリでの市民の憩いの場となった。ベルナール・チュミは、スイス出身の建築家。コロンビア大学建築・都市計画・保全大学院校長。
https://en.wikipedia.org/wiki/Parc_de_la_Villette
*2 東大門デザインプラザ
東大門デザインプラザ(DDP)。ザハ・ハディト設計。都市の中心部に、クリエイティブ教育や、コリアン・デザインの啓蒙を組入れたプログラムの企画運営には、かなりの投資と挑戦が見受けられる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Dongdaemun_Design_Plaza
*3 東京大学腰原研究室
http://wood.iis.u-tokyo.ac.jp
*4 アーキグラム
60〜70年代初頭にかけて活躍したイギリスの前衛建築家集団。移動都市「ウォーキング・シティ」など。
https://en.wikipedia.org/wiki/Archigram