Film | Architecture

戦艦ポチョムキン(1925)セルゲイ・エイゼンシュテイン監督
戦艦ポチョムキン(1925)セルゲイ・エイゼンシュテイン監督

映画をどのように見るか。映画誕生から120年を迎えた今(2015年)では、シネコンが確立し、ネット配信でも映画を見ることができるようになり、映像はより身近になった。そもそも映画は、新たな物語や、生き方のヒントを提示するだけのものだろうか。映画館で映画を見ることは、デートやファミリーの娯楽なのだろうか。古い映画は、ただ古いだけで見るべきものはないのだろうか。

ここで、もう一つの方法、「映画を建築的に見てみる」ことをお薦めしたい。建築について語っている、単に、そこで描かれる都市風景や、形態デザインでもいいし、使われ方、人物、生活との関係、素材の美しさを強調している、空間の探求、セット美術、あるいは、建築を建物でなく、都市の一部として見るなど、...etc. 様々な切り口があるだろう。そうすれば、たとえ古い映画の中にも、そのような建築的な本質が見えてくるだろうし、それらは意外に身近にある。

例えば、前述のエイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』(1925)は、Youtubeにいくつも動画がUPされていて、彼のモンタージュ論を実証することになった「オデッサの階段」のシーンには、目に見えない流れや、編集による第三の意味と光学的幻想の創出など、ここに映画表現技法の本質がある。同じロシアの建築家たちによる構成主義と同時代でもあるので、その前衛性の勃興からの影響は想像に難くない。

また、吉田喜重の一連の作品、とくに『煉獄エロイカ』(1970)における映像美、とりわけ画面の構成や構図、また、低予算であるが故にロケに頼らざるを得なかったことで、逆にそこで採り上げられた既存の建築空間とその表現方法は、未だ斬新で、ビジュアルから彼の作品を見て行くと、空間における視点の置き所を示唆したり、ビジュアルだけでも物語を語り得ることが分かり、という建築デザインのコンポジションや空間構成、ナラティブ創出の参考にもなるのではないだろうか。

同様に甲斐田祐輔監督の『すべては夜から生まれる』(2002)は、(西島秀俊主演作ということを除き)決して誰もが知る作品ではないが、描かれる対象が70年代であることで、夾雑物は削ぎ落とされ、光と闇だけで描かれたミニマルな空間だけが残る、都市や都市エレメントの捉え方や表現、構成方法を示唆する映画といえるだろう。

煉獄エロイカ(1970)吉田喜重監督 / すべては夜から生まれる(2002)甲斐田祐輔監督
煉獄エロイカ(1970)吉田喜重監督 / すべては夜から生まれる(2002)甲斐田祐輔監督

このように、個性的な映画、アート指向の映画、実験映画などにも、様々な「建築性」に結びつくポイントがある。また、建築的映画を発見するには、誰もが感動する名作を探す必要はない。ストーリーの良さだけを追い求める必要もない。建築にとっては建築的映画にだけ価値がある。また、ここに揚げられなかった映画作家も数多くいる。